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2011年3月11日、東日本大震災。

突然のウェブサイト閉鎖を、心よりお詫びいたします。

東日本大震災から、今日でちょうど6年が経ちます。

それまで長く人形作りをしてきて、たくさんの方々にお世話になったにも関わらず、大震災の日からすべてが一変してしまったために、皆様へのちゃんとしたご挨拶すらできない状況のまま、ウェブサイトを閉鎖することになってしまいました。

その後、ご連絡をくださった方々、ご支援くださった方々。
本当に申し訳ございませんでした。

ちょっと長くなりますが、あの日以降なにがどうなったのかをご報告させていただこうと思います。

海

わたしが住んでいたのは福島県の第一原発から半径30km圏内です。
揺れや津波の被害はほぼありませんでしたが、その後に飛び込んだ原発事故によって、町から人が消えました。
11月14日の朝、街中を車で走ったときすれ違った車両は自衛隊関係の車のみ。
事故のニュースをみてもいまいちピンとこず(−−;
これからどうなるのかわからないから、どうすべきなのかも考えつかず、ただぼーっとテレビのニュースを眺めていました。
街の中は、ゲーム「サイレントヒル」のような形相で、眼にはみえなくても当時かなりの放射能汚染がありました。でもどこにも行く場所なんてない。

まだ小さかった子供たちをどうすればいいのか、悩みに悩みました。
茨木に住む親類は「こちらに子供たちを避難させてはどうか」と申し出てくれました。
ですが子供たちと別れることは、どうしてもどうしてもできませんでした。
かといって子供たちの体に将来どんな影響が出るかと考えると、不安で不安で・・・
いったいどうするのが一番よかったのか、これに関してはいまだにわかりません。

津波でだれだれが亡くなった・・・・というような話を聞くようになったのもそのころです。
取引先の方は、「いったん津波で沖まで押し流されたけれど波で戻された。俺は『生かされているんだ』と感じた」と言っておられました。

これはあの頃実感された方がたくさんいらっしゃったと思います。
一歩間違ったら自分も死んでいたかもしれない。
今自分が生きているのは、奇跡なのだと。

結果的にわたしは地元に家族で残ることを選択しました。



ただ、生活は一変しました。
人形に関しては、放射線値が高かったために、家にあった粘土やそのほかの材料はすべて使えず、破棄せざるを得ませんでした。

震災後数か月はつかえていたパソコンが突然立ち上がらなくなりました。
人形関係の画像データやお客様方のアドレス、個人的にお付き合いをさせていただいていたお友達のアドレスなども含め、すべてを無くしてしまいました。
これが一番痛かったです・・・。

人形ができなくなり、今までよくしていただいていた方々のアドレスやらURLやらの情報を
すべて失ったのがあまりにつらく、どうせ人形ももう作れないだろうし、ネットの世界には
戻るまい・・・とすべてをあきらめました。


・・・そして、6年がたってしまいました。

家庭でも大きな変化があり、わたしは原発からすこし離れた隣の市に引っ越しました。
除染も進んでいましたので、ここなら放射線を気にせず、また人形作りを始められる
のでは?と思うようになりました。
また1からのスタートだけど・・・

やっぱりわたしの原点は「人形」なんですw

いろいろ準備を進め、いよいよサイトを復活させられることになったのが、本当に偶然にも大震災からちょうど6年目の3月11日です。

いろいろな思いが錯綜していますが・・・
すべてが止まったこの日にまたスタートできることは、本当にうれしいことです。

この6年間、うつになりかけたり体調を崩したり、離婚することになったりそれはもういろいろありましたが、やっと、また時計が動き出した気がします。
前を向いて、生きていきます。

心配してくださった方々、本当に本当にすみませんでした。
本当にありがとうございました。

今後ともどうぞまた、よろしくお願いいたします!